こんにちは。ツマとオットとキャットのブログ、つもっとキャットです。
寒くなって毎晩お風呂を沸かすようになり、読書タイムも増えました。Kindleを愛用しています。
最近読んだのは新書です。
ベートーベンが「市民」をつくった? 「近代+土着」でドイツを勝利させたワーグナー。歴史の流れがするすると頭に入る、斬新な音楽史&世界史。
「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、これは流行歌だけに限った話ではありません。 一般大衆から遊離したハイカルチャーに思えるクラシック音楽も、実は社会、経済と 深いつながりがあるのです。 19世紀に質量ともにピークを迎えたクラシック音楽は、 大都市の市民階級という新しい消費者に向けられた最新の文化商品でもあったのです。
Amazonのレビューを見ると、「ベートーヴェンの話はほんの一部で、タイトルはミスリードだ」とか「筆者が好きに語っているだけ」のような感想が散見されますが、ミスリードのほうはともかく、新書とは筆者が好きに語るものです。というか一般書は大体全部、筆者が好きに語るものです。
タイトルのベートーヴェンですが、まあ確かにベートーヴェンが出てくるのは全体の10%もないような気がします。でも本全体を読み通せば、西洋音楽のありかたを一気に動かしたのがベートーヴェンだと述べているので、インパクトを与えるタイトルをつけるならこうなるでしょう。悪くないと思います。
ベートーヴェンについては少ししか書かれていないならこの本は何なのかというと、西洋音楽史の本ですね。まさかネウマ譜から始まるとは思いませんでしたが、むしろそのおかげで西洋音楽史の大きな流れを掴むことができました。音楽を学んだことがある人、西洋音楽史に興味がある人には刺さります。私もちょうど大学の西洋音楽史を取ったあとだったので、「あ、あのときのアレの話だな」と振り返ることができました。
バッハの時代はこんなことを考えていた、モーツァルトの頃はこうだった、シューマンはこうだった、と時代背景と音楽の変化、作曲家の考え方が説明されています。
神に捧げるためのものだった音楽が次第に人間のものとなり、貴族のものから大衆のものとなった頃に生きていたのがベートーヴェンです。眠くなってしまいそうなクラシック音楽を、眠くならないクラシック、つまり当時の感覚でポップスのようにしあげたんですね。
そこからどんどん大衆向けの音楽が発達し、さらには大衆の意識をコントロールするようなものに発展していきます。こういう時代だからこういう音楽が多かった、など作られた時代によって、音楽というものはまったく違うわけです。
近現代に入ると私の感覚で理解できるのはラヴェルくらいまでで、バルトークやストラヴィンスキーとなると勘弁してくれと思ってしまうのですが、筆者はそのあたりももうちょっと書きたかったようです。
一応音響プログラムをかじった人間なので、音楽は数学だと思っています。音楽が、数学的にどのように変化してきたかを調べてみるのもおもしろそうだと思いました。
ベートーヴェンといえば、こういう映画を見たことがあります。
敬愛なるベートーヴェン。
ベートーヴェンが第九交響曲を発表するまでの物語です。一部実話に基づいていますが、ヒロインとして出てくる女性は架空の人物です。フィクションとして見たほうが良いでしょう。
第九が演奏されるクライマックスも良いのですが、それよりもベートーヴェンの性格のクソさ(失礼)がおもしろかったです。その中に社会への反発も含まれているような。
配信がないようで残念ですが、興味のある方はぜひ。
余談ですが、この本を読んでみて、個人的な収穫がありました。
日本の楽器は、中国から渡ってきたものがあるわりには、弓で弾く楽器がありません。弦楽器はありますが、琴も三味線も弦を弾いて音を出す楽器です。中国なら胡弓があります。しかしバイオリンのような、肩に乗せる楽器ではありません。なぜ日本には弓で弾く楽器がなかったのか、長年の疑問でした。
弓の材料がなかったから?でも日本もクジラを捕っていたよなあと想像はしていましたが、この本で別の捉え方を知りました。
バイオリン系の弦楽器は、人間に優しくない。演奏者の耳元で大音量を鳴らしているからです。その代わりに超絶技巧が生まれたり、きっちりそろった大合奏を行うことができる、という内容が書かれていました。
確かに三味線に超絶技巧とか…なくはないけども、西洋音楽のとはかなり違うしなあ。大合奏もないですし。そもそもコンサートホールのようなものがないですし。
一度は伝わってきたのかもしれませんが、人体を酷使してまで音をそろえて演奏することを、日本では求められなかったのだと考えます。